承認欲求の抑え方を教えてやんよ

twitterのタイムラインを眺めてたら知人がつぶやいていた。

リプしようかと思ったけど長くなりそうだったし、1時間以上前の話題には返信しないというマイルールにより、ひっそりブログに書こうと思う。

さて、この前半部分の承認欲求の抑え方について持論を述べる。(ちなみに元ツイは「捨て方」だけど、それは手段であって目的ではないだろうから別にいいよね)

承認欲求といえばやはりマズロー欲求段階説が想起される。欲求段階説とは、人間の欲求は段階的になっており低次の欲求が満たされると高次の欲求が発芽する、というやつだ。承認欲求の部分でいえば、所属欲求が満たされることにより発芽する。逆説的にいえば、所属欲求が満たされなければ承認欲求は発芽しない。つまり、あえて所属欲求が満たされない状態をキープできれば承認欲求に苛まれることはない。その代わりに今度は所属欲求に苛まれることになるかもしれないけど、それでもいくらかはマシじゃないかと思う。 では所属欲求とは何か?社会的欲求と言われることもあるが、ここでいう「所属」とは社会的な身分とかそういうことではないと思う。ややスピリチュアルな言い方をすれば、「心の拠り処」といったところではないだろうか。悪くいえば「依存」かもしれない。たとえば、会社でも家庭でも何らかのコミュニティでもよい。欲求段階説によれば所属欲求の前段は安全欲求である。つまり肉体的な安全を求めた後は、精神的な安全(安らぎ)を求めるということなのだろう。さらにその状態を盤石に、永続させるためにはその集合体に受け入れてもらわねばならない。そのために自分を認めてもらう必要があり、承認欲求として顕れる。

ようやく本題だけど、ではどうすればいいのか。

  • 何かに所属せずに適度に距離を保つ。これは会社を辞めるべきとか人とコミュニケーションを取らないようにするということではなく、精神的な自立を意味する。あくまでも自分は自分。
  • 過度な承認欲求は自己顕示欲と認識する。きっと人間が成長するうえで承認欲求というものは大事なんだろうけど、それも度が過ぎれば反対に他者から疎まれることになる。それを意識すれば承認欲求も多少は抑制されるのではないか。ただし正当な承認欲求と自己顕示欲の境界を見極めることは難しいと思う。

これらはあくまで私の持論であり、私は門外漢なので、自信を持って勧めるというはしない。だけどこんなのでも彼の一助となれば幸いである。

ただし私は欲求段階説について深く学んだわけではないので、解釈が間違っているかもしれないことは留意されたし。

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冒頭で、直接リプせずブログに書く理由をいくつか挙げたが、実はもう一つある。それは私の天邪鬼な性格というか、いたずら心というか、「このブログにたどり着けるかな?」という挑戦でもある。というのも、私は知人に知られることなくひっそりと記事を書くのが結構好きなのだが、Qiitaにひっそり書いていたのが筒抜けだったと先日発覚したからである。そう、これはリベンジでもあるのだ。(まぁそれは大げさで、こんな記事を読んでも読まなくても彼の人生には全く影響しないだろうから、ちょっとした悪戯である)

現実的な方法でこの記事を読むには、RSSを購読していたというパターンくらいしかないんじゃないかと思うけど、その確率はきっと10%もないと思う。

グダグタになってる気がして、ちゃんと推敲したいけどもう眠たいのでこの辺でzzz