情報と僕

僕がTwitterを使い始めてそろそろ半年経つ。
使用前と現在でずいぶん情報との距離感が変わったと思う。

梅田望夫さんは著書『ウェブ時代をゆく』で”流しそうめん”という比喩を用いられていた。
以前の僕はインフラは整っていたがあまり積極的ではなく、必要なときに必要な分だけ取りに行く、いわばバイキングだった。それがTwitterを始め(クライアントソフトはTweetDeck)、フォロワー数も徐々に増え、「これが”流しそうめん”って感覚かぁ」と思えてきた。もちろんそれは主観的なものなので望田さんの感覚とは大分乖離があると思うが。
そしてiPod touchを入手し、家の環境を無線ルータにした。それまではルータがなかったので毎回PPPoEで接続する必要があったが、そのちょっとした操作が億劫だった。
するとどうだろう。もうバリアフリーである。ネットにつながるのに何の障壁もない。tweetを見る頻度も増え、必然的に気になる情報のソースにあたることも増えた。
だけどたまに思う。これはワンコそばみたいなものではないかと。噛む間もなくかき込んで、そしたら次のそばを入れられて。満腹になるまでそれの繰り返し。
ちょっと批判的になってきたけど、全然批判する気も改める気もない。ただ、その結果どうなるのかが気になる。胃を壊すかファットになるか、それとも・・・
さて、futureを生きるのは?(ブログのタイトルを絡めてみたw)

うーん、ちゃんと考えを持たずに勢いで書いてしまったのでグズグズになったなw